2018年は西日本、2019年は東日本が災害に襲われました。地震や水害といった災害は起こると家を失う人がいたり死傷者が出たりするため、できれば発生しない方がありがたいです。
しかしそれでも世界中のどこかで毎年災害は発生し悲劇は繰り返されるため、あえて『災害によるメリット』を考えてみました。「災害にもなんらかのメリットがある」と考えることで、災害が起きてもほんの少しだけ前向きな気持ちになれる気がするからです。
「捨てようと思っていて捨てられていなかったもの」が捨てられる
まず初めに思いついた災害のメリットは、「捨てようと思っていて捨てられていなかったものを捨てられる」ことです。
- いつか捨てようと思っていたゴミ
- 捨て忘れていたゴミ
- いつか使うと思って取っておいたけど何年も使っていない物
このようなゴミや不用品はどの家庭にも10個や20個くらいあるかと思います。僕の家には大量にあります。大規模な災害が発生して住宅に被害が起こると、こういった不用品や捨て忘れていたゴミを捨てるキッカケになります。
台風15号、19号のニュースでは大量の災害ゴミについても報道されていました。
ニュースを見ていて気付いたのですが、水害によって使えなくなってしまった畳や家具などの他にも、プラスチック製の衣装ケースや金属製のバケツなどが災害ゴミの集積場に集められており、「どうみても災害が原因で出たゴミじゃないよな」と感じました。水で流せばまだ使えるものだったり、水害からの復旧作業に使えるようなものだからです。
じゃあなんでそういうものが災害ゴミとして出されているのか?といえば、結局のところ「災害を機に、ほかの災害ゴミと一緒に捨てることにした」からだとしか考えられません。
災害ゴミとして捨てるのであれば集積場に持っていくだけで回収してもらえ、細かい分別をしなくてもいいですし曜日や時間を気にしなくてもゴミが出せます。家中の不用品を一掃するには大チャンスです。
新たな災害への対策が強化される
過去に起きたいくつもの災害を糧にして、現在の日本ではかなり高い基準での災害対策がとられています。想定した基準を超える災害が発生したり予期せぬ災害が発生したりする度に、『次への備え』として基準が強化されてきたからです。そしてそのおかげで救われた人がたくさんいます。
災害による被害が出ると暗い気持ちになりますが、災害による経験を『次の災害』へと活かすことができるのであれば、その災害は必ずしも悪いものだったとは言えません。
防災や住民サービスの議論のきっかけになる
その日、人類は思い出した。ヤツらに支配されていた恐怖を…鳥籠の中に囚われていた屈辱を…
これは漫画『進撃の巨人』の冒頭の言葉ですが、これまで静かにしていた”驚異”がある日突然眠りから覚めて暴れ出す様子を表現しています。
災害も同じです。「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、災害が発生することで防災について考えるきっかけができますし、「予期せぬ事態への備え」の必要性を改めて認識できます。
また道路や橋などの住民サービスについても災害を機に考えるきっかけになります。
西日本豪雨では、橋が崩落して十数世帯の集落が孤立しました。孤立世帯の住民たちが今後も同じ場所で住み続けるためには橋を修復する必要があり、それには莫大な費用がかかります。
わずかな住民のために莫大な税金を投入して橋を直すよりも、集落の住民たちには別の場所に移り住んでもらった方が安上がりで済みますし今後同様の災害があった際にも安心です。
どこに住むのかは個人が自由に決めることができますが、数えるほどの住民のために多くの税金を使うことに意義があるのか…?議論の余地があります。
災害のおかげでこういったことを考える機会が生まれ、将来の住民サービスに影響を与えることになります。
まとめ
以上のように災害には
- 「捨てようと思っていて捨てられていなかったもの」が捨てられる
- 新たな災害への対策が強化される
- 防災や住民サービスの議論のきっかけになる
といったメリットがあります。
災害では死傷者が出ることがありますし、住宅に大きな被害を受ける方もいます。そのためマイナス面ばかりが強調されがちです。しかしマイナス面と同じくらいプラスの面もありますので、たまには災害によるメリットについても思い出してあげたいですね!
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