神社で参拝したときの証明(記念)として押印してもらう「御朱印(ごしゅいん)」。
有料ですが、神社ごとに異なる押印がもらえるため集めている方が意外と多いです。
この御朱印に関して、東京都台東区にある浅草神社が異例の発表を行いました。
- 三社祭期間中の御朱印対応について(Facebook)
御朱印を求めるモンスタークレーマー
発表によれば今年のゴールデンウィーク期間中、改元に伴う特別御朱印を頒布していたものの、予想以上に御朱印を求める人が殺到し何時間も待たされる参拝客が続出してしまったとのことです。
そしてその参拝客の中には、神社の職員に対して
- 暴言・恫喝また暴力に近い行為に及ぶ者
- 1人の職員を取り囲み罵声を浴びせる人
- 説明をしている最中に大声を出し遮る者
- 遠方から来たことを強調し、特殊な対応を求める者
- 整理券をひったくるように受け取る者
- 神社をサービス業と捉えられ、受付時間の変更を提案する者
- 「こっちはお客さんだぞ」と見当違いなことを言い出す者
こういった人達がいたとのことでした。
いわゆる迷惑な客、もしくはモンスタークレーマーってやつです。
僕はモンスタークレーマーのようなみっともない人を見たことが無いのですが、コンビニの店員に土下座を要求する人がいる世の中ですから、神社の職員に対して暴言を吐いたりまるでヤクザのような態度を取る人がいてもおかしくはありません。「駄々をこねれば自分の要求が通ると思っている」という意味では子どもと一緒。いや、叱ってくれる親がいないという意味では子どもよりもタチが悪いです。
浅草神社ではマナーの悪い参拝客に今後も来られると困るため、今年の三社祭での特別御朱印の頒布は見送ることにしたそうです。
参拝客のマナーが良ければ、5月16日(木)~19日(日)に開催される三社祭でも通常の御朱印とは違う特別な御朱印が頒布される予定でした。一部のマナー違反の客のせいで、マナーを守っている大部分の参拝客が迷惑を受けるのは可哀想ですね。
いつの時代も、一部のバカのせいで大多数の善良な市民が不自由を強いられます。
本来御朱印は、自分で写経をしたものをお寺に納めた証明として頂くものでした。江戸時代に社寺参詣が一般化してからは、神社でも参拝の証しとして授与するようになったといわれています。
つまり信仰の証だったわけです。
それなのに現在では、御朱印を貰うために神社で怒鳴り声を上げたり職員さんを恫喝したりする人がいると聞き、「時代は変わったなあ~」と暗い気分になりました。神様の前で何やってんの?
僕は別に神道を信仰しているわけではないですが、神社は宗教施設です。キリスト教の教会、イスラム教のモスクなどと似たような場所です。
そのような場所で喚き散らすような不届き者は、宗教に関係なく袋叩きにされると思います。今回は大人しい日本人が集まる神社でしたが、こういう輩は他の宗教施設でも同じように駄々をこねます。
日本とは文化の違う場所で同じような行為に及んだ場合、果たしてどのような天罰が待っているのでしょうか。
ディズニーランドと化した神社
今回の騒動に関して、様々なメディアが話題にしていますし浅草神社のFacebookにもコメントが多数寄せられています。その中で僕が気になったコメントをご紹介します。
「大半がSNSでの承認欲求やらオク(ネットオークションでの転売)で小遣い稼ぎの為にやってんだから信仰心なんて皆無」
「日本人は無宗教。日本人は神も仏も信じていない。神社に参拝するのは単なる観光でしかない。つまり、神社が昨今生き残っているのは、サービス業として成立しているから、という事実を無視することはできない。」
これはなかなか興味深い指摘です。
たしかに日本人の多くは無宗教だと思います。死んだらどこかの寺の墓に入る人はいるでしょうが、自分が何の宗教のどんな宗派の寺に埋葬されるのかを知っている人は少ないはずです。
自分がどこの宗派に属しているのかも知らず、「たぶん死んだらどこかの寺に埋められるんだろうな」くらいの感覚です。
日本人の宗教に関しては文化庁文化部宗務課による統計資料が出ており、
昭和 56 年以降から最近まで,神道系の信者数は 1 億人を超え,仏教系の信者数も 8,000~9,000万人台を維持している。全ての宗派を合計すると,日本の総人口をはるかに上回ることになるが,複数の宗教団体への重複所属などが一般的に見られ,宗教団体への帰属意識が薄い人々も「信者」に数えられている場合もあることなどが反映していると思われる。
とあります。
1人で2つも3つも宗教に入っていたり、帰属意識が薄いためにいつの間にか信者としてカウントされていたりするんですね。それだけ宗教への関心が薄い。無宗教的ということです。
僕も大学がキリスト教系の学校だったため授業で礼拝を受けたことがありますが、僕個人としてはキリスト教の信者だとは思っていません。でもたぶんキリスト教の信者としてカウントされてるんだと思います。また父方の墓が仏教系の寺に所属しているのですが、たぶんそちらでも信者としてカウントされてるんでしょうね。
そんな日本で神社が存続できているのは、観光地としての役割を担っているからとも言えます。つまりサービス業です。
外国人が「インスタ映えするから」という理由で鳥居の写真を撮るのと同じで、日本人も観光地に遊びに行くつもりで神社に行きます。そこに信仰心はありません。ミッキーを見に行くのと大差ないわけです。
神社が実質的にサービス業として成立している面は否めず、受付時間の拡大を要求されたり御朱印を求める人が殺到したりするのはやむを得ない部分もあると感じました。
だからといって「俺は客だぞ」とふんぞり返る勘違い野郎にまで、真面目に応対する必要はありませんけどね。
もちろん日本人の中にも信仰心から神社に参拝に行く方もたくさんいますし、観光目的で行ってみたけど神社の雰囲気にのまれて厳かな気持ちになる方もいるでしょう。しかし大部分の人は信仰とは関係なく神社に参拝しに行っていると思われ、浅草神社のような騒動が起こるのも必然だったように感じました。
神社もサービス業としての歩み寄りが必要
「神社はサービス業じゃない」と主張したい方の気持ちはわかりますが、神社が人々の信仰心だけで運営していくのは無理だと思います。サービス業として社会に支えてもらっている部分もあるので、神社側ももう少しサービス業として参拝客に歩み寄る必要があるように感じます。
いまは御朱印ブームや物珍しさで訪れる外国人観光客のおかげで収入を維持できている神社も、ブームが去れば閑古鳥が鳴くことになります。いまのうちに参拝客のニーズをくみ取りサービス業としての役割を身に付けないと、ブームが去った時に廃業することになるでしょう。なにしろ、日本人に信仰心は無いのですから。
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